3月11日。
仕事から帰ってパソコンを見ていた。
しばらくすると地震が来た。
今までにないくらいの揺れに驚き、食器棚を押さえに行った。
揺れている時間も長く、こりゃ関東もいよいよ来たかなと思った。
しばらくして揺れも治まったのでテレビをつけ、地震速報を見る。
震源地は東北方面。
仙台にブログの仲間がいるので心配になり、メールを入れた。
テレビの画面にはお台場で起こった火事が映っていた。
その程度だと思っていた。
仙台の仲間からメールの返事が来ない。
何か都合があるのだろうと思いながらも心配になる。
テレビでは被災地の様子が刻々と伝えられてきた。
時間が経つにつれ、被害状況は変化する。
津波の威力のものすごさに圧倒された。
犠牲者の数も尋常ではない。
ますます仲間の様子が心配になる。
学校から帰って出かけていた長男からメールが来る。
「電車動いてない。」
春から通う高校の卓球部の練習に参加させてもらっていたのだけど
帰りの電車が止まってしまったというのだ。
すぐに復旧すると思われたがなかなか動きそうにない様子なので、車で迎えに行くことにした。
次男にはサッカーの練習は一人で行くように言い、5時半ころ家を出た。
道はすごく混んでいて、いつもなら30分もあれば着いてしまう駅に2時間経っても着かない。
渋滞にはまっている間も実家の母やサッカーで一緒のママたちに電話しようにも通じず、
ひたすらメールで連絡。
母は携帯を持たないので電話で連絡するしかないので何度もかけた。
ようやく一回だけ通じたので、あまりの渋滞に車がほとんど動かず、次男のサッカーのお迎えに行けないので
代わりに行ってもらうようにお願いした。
次男は、地震が怖いと言うのでそのまま実家に居させてもらうようにした。
旦那にも、長男を迎えに行ってものすごく時間がかかっていること、次男が私の実家にいることをメールした。
出かける前に夕飯を作っていたのが幸いし、家族が帰ってきてもひもじい思いをすることがないのに安心した。
その後、旦那から仕事が終わったら次男を拾って帰るとメールが来た。
4時間かかってやっと長男が待つ駅に到着。
どうやって過ごしたのか聞いたらコンビニに入ってパンを買ったりして時間をつぶしていたとのこと。
到着するまで何度も「今どこ?」とメールで聞いてきていた
車の中で、高校の体育館で地震に遭って怖かったと聞いた。
私と長男が10時過ぎに帰宅し、ようやく家族が揃う。
テレビでは全局地震のニュース。
とんでもない地震だったことがわかった。